2015年8月7日金曜日

今を生きる「聖書の不思議(2)~人が人として生きる道~」

        
     天地の創造主

この宇宙、地球、自然界、人間についてつぶさに調べると、驚きとともにその背後にデザインをされた方がおられることを、自然に認めることとなりました。多くの自然科学者が、この世界が偶然にできたのではなく、デザインされた方がおられることを認めているのは事実です。

「初めに、創造主が天と地とを創造された。」(創造主訳聖書 創世記1:1)

聖書の最初の言葉、特段の説明もなくおごそかに神秘的な言葉で書かれています。調べたことおよびこの聖書の言葉を黙想してみますと、神様が天地を造られたのだと信じるよりも認めざるを得なかったのです。宇宙と地球がどのように運航しているか、人間、動物、植物がどれほど精密に複雑に造られているかを知るにつけ、創造主がおられることを素直に受け入れました。

     人が人として生きる道

では、その神が私との関係でどうなのか、神様を信じるとはどういうことか?「信じる」ということがよくわかりません。「聖書は、人が人として正しく歩んでいくことを導いてくれる書物」であるとはわかっていましたが、神を私の救い主として信じることがわかりません。
 
ともかく、聖書をしっかり学んでいく、そこに何か真実があるのではないかと求道する姿です。教会に出席し、KGKの集会に出て、聖書を読み、それに関する本を読み漁りました。やがて、この真実な道にかけてみるしかない、飛び込んでみないとわからないのではないかと導かれたのです。
 
イエスキリストを私の救い主として受け入れるに至りました。教会での朝の礼拝の時に「この道にかけてみよう!」と決断し、信仰へのジャンプをしたのです。「人が人として生きる道が、そこにはある」とひたすら求めて見出したのです。全くの恵みによることです。

     聖書の不思議

神を信じて信仰を持ったとはいえ、聖書を読んでもわからないことがいろいろと出てきます。その時に、教会の恩師より指導されたことは、「聖書の中でわからないことが出てきても、次第に霊的な目が開けて、わかるときが来ます。わかるところだけをまず理解して進みなさい。」ということでした。

よくわからない事柄といえば、イエス様の復活、奇跡、罪の三つでしょうか。“イエス様の復活”については、論理的に詰めて考えていけば、ある程度納得のいく答えが見つかります。それについては、論理的に説明した小冊子を読んで、まず頭で納得です。
 
“奇跡”については、超自然的な神の力が働けば、これはできないわけがない。“罪”については、罪人と言われても子供のころから品行方正にしつけられて育ち、悪いことはしてないしー。自分が本当に罪人と言われても、頭での理解レベルです。時間を積み重ねていくと、これらについては、信仰が深められてきて、いつの日か心から「アーメン」とわかってきました。 

ところで、多くの日本人が「進化」が正しいと教えられ、信じているかそのように考えています。しかし、進化論の考え方については、いまだ科学的には全く証明された事柄ではなく、単なる考え方にすぎないのです。私が調べて納得してから長~~い時間が経過しましたが、時間の経過とともに、創造論の証拠は多くなれども、進化論についての証拠は全く出てこないのが実情ではないかと思われます。これから数回にわたっては、聖書に出てくる不思議について取り上げていきます。 

2015年7月11日    小坂圭吾